お気に入りのアルバム
天空の女神
『Earth Wind & Fire / 天空の女神』(1981年)
当時まだ中学生だった僕が、かつこいい〜っ、と夢中になった初めての洋楽アルバム。音楽のかっこよさに目覚めさせてくれた。『LET’S GROOVE』はイントロが始まるとゾクゾクしたなあ。トーキングモジュレーターをとおして、モーグをならしているんだと思うけど、まんまとあの音にやられちゃったんだよね。ホーンのアレンジも素晴らしいしね。歌のメロディーはもちろんだけど、ホーンセクションのメロがとても印象的です。カリンバという、親指ピアノを知ったのもこのアルバム。このカリンバの音は、見たことのないアフリカの大地が見えてきます。
We are
『オフコース / We are』(1980年)
僕が最初にバンドを組んだのは、ビートルズでもビーチボーイズでもなく、何を隠そうオフコースのコピーバンドでした。当時『Yes-No』や『さよなら』が大ヒットして、FMでもよく流れていました。中学生ですからね恋もするし、バンドにもちょっと興味を持ち始めたころで、たまったお年玉でエレキギターを買いまして(ドラムではなかった)当時仲の良かった友人達にベースやらドラムをやってもらって(なかば強制的に)、ギター片手に「きーみを抱いていーのー 好きにーなってもいーのー♪」もうほとんどジャイアン状態です。
Reflections
『寺尾聰 / Reflections』(1981年)
お小遣いをためて買った1枚です。当時、TBSでザ・ベストテンという超人気の歌番組(久米宏さんと黒柳徹子さんの司会)がありまして、僕もそれを木曜の夜は必ず見ていました。「ルビーの指輪」が10週連続1位をとると、この記録どこまで行くんだろうと自分のことのようにドキドキしてみていました。結局12周連続1位を獲得、この記録は放送終了まで誰も抜けませんでした。「ルビーの指輪」はもちろんですが、アルバムのなかでは特に「HABANA EXPRESS」や「渚のカンパリ・ソーダ」、「出航 SASURAI」が好きでした。時が経った今聞いても、古さを感じさせないすばらしいアルバムです。ジャケットの撮影は、シャッターをバルブ(開放)にして、Loveの文字を暗闇でタバコの火でeから順にLまで書いてから、光を当てたそうです。Photoshopなんてない時代ですからね、アイデアですね。
TOTO IV~聖なる剣
『TOTO / 聖なる剣』(1982年)
これを聞いて「フーン」と素通りできるドラマーがいるのだろうか。TOTOのリーダーでありドラマーであった故ジェフ・ポーカロ、彼のグルーヴの強固さ、繊細さ、凄まじいスピード、聞けば聞くほどに新たな感動と発見があり、30年近く経った今でもなんら色褪せることの無い普遍性をを持つ。超一流のプレイヤーの歴史に残る録音とはこういうものか。いつの日かこんな境地に到達したいものだ。いや、してみせる。
FILL UP THE NIGHT
『渡辺貞夫 / Fill Up The Night』(1983年)
このアルバムの発売後、ナベサダ(渡辺貞夫さんの愛称)さんの全国ツアーが当時、僕の住んでいた静岡を皮切りに開始された。僕の人生を狂わせた大きな出来事である。このアルバムのレコーディングメンバーは渡辺貞夫(Sax)、リチャード・ティー(Kb)、エリック・ゲイル(Gt)、マーカス・ミラー(B)、そして僕の永遠のドラム・ヒーロー、スティーヴ・ガッドである。メンバーのほとんどが伝説のフュージョングループ・STUFFのメンバーである。来日メンバーは若干の変更があった。マーカスの代わりに若き日のウィル・リー(B)、リチャードの代わりにポール・グリフィン(Kb)。この時のスティーヴの叩く、黒のYAMAHA YD-9000Rは例えるならフェラーリ308GTBか、ポルシェ930TURBO、あこがれのマシーンに見えた。そして、静岡市民文化会館ホールがとてつもないグルーヴの海になりました。この時僕のハートの奥深くに刷り込まれたものは、きっと生涯消えません。
13CATS
『13CATS / 13CATS』(1989年)
当時、音楽仲間の間で凄い日本人ドラマーがいるというのでとっても話題になっていました。そのドラマーはドラマーになろうとアメリカに渡ってドラムを勉強し、むこうでそのままセッションドラマーになってチャカ・カーンのツアーに参加した後に日本での活動を始めるといった、日本人でありながら完全なアメリカ仕込みのドラマー、名前は今や音楽界ではみなさんご存知、沼澤尚さんである。その沼澤さんを初めて聴いたアルバムです。